生きるために、やるべきことを最優先に動いていく日常。
次から次へと降りかかる難題と向き合い、打開策を探し、道を切り開くことに必死な毎日を過ごしている。
音楽や表現者として何かを成し遂げるためではなく、
ただ「今を生きるため」に前へ進むことを選んできた。
そんな中で、何度も頭をよぎった言葉がある。
「私は、何が好きなのでしょうか?」
表現者としてやりたいこと、思うように動けていない。
歌えていない時間が続き、自分の原点がわからなくなる瞬間が何度もあった。
ある問いへの答え、客観的に見た見解を伝えられた時にはっとさせられた。
答えは、言葉ではなく「行動」にすでに出ていたんだと・・・
私は 歌うことをやめていない。
ネオクロという世界観を守ろうとしている。
言葉や構図、空気感を何度も整えている。
発信をやめたいのではなく、「どう続けるか」で悩んでいる。
これは、単なる興味ではない。
むしろ、執着に近い“好き”なのだと言われた時・・・
好きだからこそ、ここまで考え続け、執着しているのだと気づいた。
執着している自覚はないけど、確かにずっと必ず片隅で考えている。
本当に好きではないものに、人はここまで悩まない。
苦しくても、迷っても、手放せずに考え続けてしまう。 それが、執着するほどに好きなものなのだと知った。
世の中には、「好き」だと勘違いしやすいものがある。
すぐに成果が出るもの。
他人が評価してくれるもの。
これをやれば正解、という答えが用意されているもの。
それらは「安心」ではあっても、
必ずしも「好き」ではない。
私の核にあるものは、もっと曖昧で、もっと不器用だ。
感情や空気、余韻を、声や言葉で残したい。
だから選曲に悩み、言葉のトーンに迷い、 朝の一文にさえ時間をかけてしまう。
これは、表現者の悩みなのだということを知った。
「何が好きかわからない人」なのではなく
好きすぎて、どう扱えばいいかわからないだけ。
答えを急がなくていい。
好きなものの輪郭は、続けた先で少しずつ浮かび上がってくる。
結局、ネオの根源は、昔から何も変わっていない。
その言葉に、異論はなかった。
確かに、そうだから。
